(1/2)toe山㟢氏・Double Famous坂口氏・Pepe California斎藤氏の「バンド×仕事」のスタイル:働きながら音楽活動をする第4回イベントレポート
音楽活動と仕事の両立を考えていくセミナー「働きながら音楽活動をする」の第4回目が行われました。今回は、神田で開催された「OUR MUSICE FESTIVAL 神田錦町音楽祭」内のトークセッションとして開催。
登壇したのは、坂口修一郎氏(Double Famous/BAGN Inc./GOOD NEIGHBORS JAMBOREE)、斎藤寿大氏 (Pepe California/ Saito & Co.)、山㟢廣和氏(toe/Metronome Inc代表)の三名。坂口氏・斎藤氏・山㟢氏ともに、バンドやプロデュースなどの音楽活動を積極的にこなしつつも、ライスワークとしての「仕事」もかっこよく続けています。
今回登壇した三名からは、現在、「どのように仕事と音楽活動を両立させているのか」「どのような経緯で、現在のようなスタイルを確立していったのか」ということを中心に伺いました。
「好きな音楽活動を続けたい」と思っていても、年齢をリミットにしてアーティスト活動をあきらめたり、行き詰まりを感じでバンドを解散することが多く見受けられます。ですが、今回のトークイベントが、仕事も音楽も楽しく続けるライフスタイルを確立するお役に立てればと思います。
次回イベントも開催決定!
2018年3月17日、福岡県福岡市「SPACE on the Station」にて開催。ゲストとして、奈部川光義氏( ATATA)&五味岳久氏(LOSTAGE)が登壇します!
※会場:錦町トラッドスクエア1F
※開催日:2017年11月3日(OUR MUSICE FESTIVAL 神田錦町音楽祭 イベント内コンテンツ)
※主催・モデレーター:鈴木 哲也(oaqk/Penguin Market Records副代表/ ヤフー株式会社)
※取材・撮影・レポート:佐野匠
登壇者紹介
坂口修一郎(さかぐち・しゅういちろう)
Double Famous/BAGN Inc./GOOD NEIGHBORS JAMBOREE
1971年 鹿児島生まれ。1993年無国籍音楽のエスペラント楽団・Double Famousを結成。音楽活動の一方、アパレルブランドを経て代官山UNITを設立。2010年より故郷鹿児島でクロスカルチャーな野外イベント『GOOD NEIGHBORS JAMBOREE』を主宰。東日本大震災後には緊急支援で来日したジェーン・バーキンのサポートバンドをオーガナイズしワールドツアーに参加した。現在はランドスケーププロダクツ内にディレクションカンパニー・BAGN Inc.を設立。ジャンルを越境したイベントのプロデュースに携わっている。
斎藤寿大(さいとう・としひろ)
Pepe California/ Saito & Co.
1975年生まれ。ウェブディレクター/ミュージシャン。デザイン会社Bluemarkを2000年に設立以来、コーポレートサイト、ブランドサイトを中心にコンサルティングとプロデュースを行っている。また、自らのバンド Pepe California として 5 枚のアルバムを発表。マイペースに制作やライブ活動を続けている。
山㟢廣和 (やまざき・ひろかず)
toe/Metronome Inc.代表
「インストゥルメンタルロック」という彼らの登場まではアンダーグラウンドミュージックとして認識されていたサウンドを物の見事に市民権を得させてしまった確信犯。聴くもの観るものを高揚、魅了させる音源やライブパフォーマンスは絶大な支持を受けている。様々なシチュエーションに対応してしまう音の振り幅の広さも魅力の一つ。
オウンレーベルMachupicchu Industriasを運営し、自らの音源をリリース。海外ではTopshelf Records(San Diego/USA)、White Noise Records(香港)とサイン。'18年1月には南米ツアー、過去曲のディスコグラフィー的アルバム「That's Another Story」を発売。
登壇者のバンド×仕事の活動について
坂口氏
Double Famousとしての音楽活動について
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:1993年、大学の同級生とDouble Famousというバンドを組みました。真ん中にいるのが僕です。この時期、まだ音楽業界は調子のよかった時代ですよね。「CDバブル」と言われていた時代で、レコード会社にもお金があって、僕らもさまざまな活動ができました。
坂口:2001年ごろは、フジロックとか野外フェスが盛んになった時期で、いろんなフェスに出演させてもらいました。一時期、「ライブはフェスのみに出演」という時期続いたんですね。
理由は二つあって、一つは「いろいろなお客さんにライブを観てもらえる」というポジティブな面です。
もう一つは、日々の仕事をこなしつつ音楽活動を進めていく中で、メンバーが色々な状況になる、ライブハウスの環境でライブすることができない、という状況になってしまったんですね。
こりゃいかん、ということで、できるだけ野外フェスに出るようになりました。
ありがたいことに、2001年ぐらいから日本のフェスはどんどん増えていって、北はライジングサンから、南は福岡のものまで、ずいぶん出させてもらいました。
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:現在までに7枚ぐらいアルバムを出しています。最初はインディーズから始まって、その後ビクターエンタテインメントから出していました。
2003年ぐらいになると、音楽状態の景気の悪さがだんだん顕著になってきてですね、だんだん予算が減っていくことになりまして。で、2008年にはエイベックストラックスからアルバムを出しました。
ここでメジャーとしての契約は終わったのですが、もともとメジャーでの契約にこだわっていたわけではないので、いちばん最近作った2013年のアルバム『6variations』は、クラウドファンディングで資金をあつめて、「カクバリズム」というレーベルからリリースしました。
参考:ダブルフェイマスの新作CD+BOOK「6variations」制作プロジェクト
今年でDouble Famousは活動開始25年。メンバーは、様々な場所でそれぞれの仕事(ライスワーク)を持っているが、現在も音楽活動は進行中。
坂口氏個人の活動について
ツアーのサポート
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:2011年に、ジェーン・バーキンが来日した際にはライブをサポートすることになりました。このとき「Double Famousでサポートをしてほしい」というオファーが来たんですけど、メンバー住む場所がお互い離れて全員集められなかったので、近くにいるメンバー+サポートでサポートメンバーを結成しました。
その後、ジェーン・バーキンがから「ツアーに一緒にいこう」と誘われ、全米、オーストラリア、アジアなど、けっこう、あちこち行きました。
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:熊本の伝統芸能を行う方たちと一緒に、その場限りの音楽セッションや作品づくりを行う、というような活動です。
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:代官山に「UNIT」っていうクラブハウスがあるんですけど、ご存知の方いらっしゃいますか?やっぱり結構いますね。
このUNITは2004年7月4日に立ち上がったんですけども、自分も「代官山UNIT」の立ち上げに参加してたんですね。
Daobue Famousのようなマニアックな音楽をやるバンドに場所を貸してくれる箱が次々無くなっていっていたんですね。マニアックすぎて。なので、これはちょっと「場所を作るところからやらないといけないな」と思ったんですね。
それで、イベントを企画する裏方のメンバーとして2003年にからプロジェクトの準備室に入って、代官山UNITを立ち上げて、立ち上げ後は5年ほどプロデューサーとして参加しいました。
坂口:これがきっかけで、イベントの「場を作る」ということをやり始めて、あちこちでイベントの企画って言うのをやるようになるんですね。で、自分は出演はせずに裏方にまわると。
実は、このトークイベントが行われている「OUR MUSICE FESTIVAL 神田錦町音楽祭」も、全体の企画に関わらせてもらっています。
※坂口氏のスライドより抜粋
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:僕は鹿児島出身なので、「自分のスキルを活かして地元に何かできないか」ということで、2010年から「グッドネイバーズジャンボリー」というフェスティバルを始めました。
130年前に作られた小学校の廃校を会場として利用して。上空から見ると、会場周辺には民家がほとんどないというすごいロケーションなんですよね。日本でも有数のスーパー限界集落。
毎年、仲間のミュージシャン、地元のミュージシャン、DJなんかに出演してもらったり、子どもたちに即興で演奏を教えてマーチングバンドをやったり、ワークショップ、フード、体験型プロジェクトなど、様々な企画をやっていたりします。
ヒカリエ楽団
※坂口氏のスライドより抜粋
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:渋谷の「ヒカリエ」で、ヒカリエ公認の音楽ゲリラ活動みたいなものもやりまして。
子どもたちを対象にした、ワークショップ型の音楽イベントです。トイ楽器・打楽器などを使ってこどもたちと一緒に楽曲を練習。練習した後は、渋谷ヒカリエ館内を演奏しながらパレードしたりしました。
※坂口氏のスライドより抜粋
※坂口氏のスライドより抜粋
坂口:渋谷ズンチャカというイベントでは、スクランブル交差点を封鎖して、350人でパレードをしたりとか。「新たになりゆく渋谷の未来に、誇りと愛着を持って関わるきっかけをつくりたい」という渋谷区の想いをベースに、行われているイベントです。
会社の設立
「イベントの場をつくる」という企画のオファーを受けることが増え「個人でやるレベルではないな」という段階に達したことで、2012年ディレクションカンパニー・BAGN Inc.を設立しました。現在は、5人のスタッフと一緒に活動しています。
斎藤氏
バンドと仕事の活動履歴
斎藤:じゃあちょっと、簡単に。ほとんどの方初めましてだと思うんですけども、「Pepe California」っていうバンドやってまして。
結成1998年、デビューが1999年なんですけど。幼馴染のKB、Mitchoと自分の三人でやってまして。
最初に組んだのは、中学2年のころで。バンドブームだったので始めたんですけども、中学終わりごろに限界を感じて解散して。高校時代は、僕は参加しなかったんですけど、KBとMitchoの二人はヘビメタのバンドやってたんですよね。ヘビメタブームで。
坂口:いま歳はいくつなんですか?
斎藤:いま42です。75年生まれなんで。ちょうどバンドブームのころが中学生で。高校生の頃がヘビメタ。何流行ってたんでしょうね?90年代前半とかですかね。いろいろありましたけど。僕はそのころは、古いロックとかを聴いてるころで。
それで、また一緒に活動するようになったのが、大学は行って20歳ごろですかね?
それぐらいになって、また音楽作ろうみたいな話になって、1998年ごろから曲をまじめに作るようになってきて。
で、2曲ぐらいできたんで。
当時、レコ屋がすごかったんで。何する?っていったらだいたいレコード屋に行ってレコード買って聴く、みたいな時代だったんで。90年代後半は。
自分たちの曲を入れたフリーカセットテープを100本ぐらい作って、好きなレコード屋に置いて回ったんですね。
で、それでなんか満足しちゃってしばらく具体的な活動しなかったんですけど、その後カセット聴いた音楽レーベルの人から「アルバム出さないか」という話をもらって。
それがきっかけで、1999年、音楽レーベル「Hot-Cha」からミニアルバムをリリースしたんですね。
でも、これ出したはいいんですけど、その後これといったリアクションもなくて。何枚売れたかもわからない状態だったんですけど、「アルバム出てよかったー」みたいな話で、そのあとしばらく何もしなかったんですよね。
斎藤:その後ですね、2000年ごろ、雑誌『relax』(2018年現在は休刊中)っていう雑誌が出てて、それに付録で付けるCDみたいなのをやらないか、っていう話を、当時編集長やっていた岡本さんという方からもらいました。
岡本さんが、さっきのアルバムを聴いて、というか僕が渡したんですけど、リアクション無かったので「聴いてないのかな」って思ってたら(笑)、半年後ぐらいに連絡くれて。
坂口:だいたいデモテープとか聞いてないよね、悲しいことにね(笑)
斎藤:当時バイトしてた先に岡本さんがいたんで、それで渡したんですけど。それで急に連絡もらって。「これで曲作って」みたいな感じに頼まれて、久しぶりに曲作りしようって言って作ったのが、2000年のアタマとかそれぐらいなんですけど。
で、今度はそのCDを聴いた人から連絡をもらって。当時、青山の「SPIRAL」の1Fのところに「SPIRAL RECORDS」というレコード屋があったんですけど、そこの人から連絡もらって、「レーベルを始めるのでリリースしないか」と誘われ、2枚目のアルバム出したのが2000年の年末ですかね。
この頃から、それこそ Double Famousのライブに行ったり、イベントに遊びに行ったりしてたなかで、「自分たちも継続的に音楽作るんだな」みたいな感じになってきて。このアルバムを作るようになってから、毎週バンドのメンバーと会って定期的に活動するようになりました。
坂口:青山のSPIRALは、ぼくらDoubleFamousをよく出してくれたのに、例外的につぶれなかったところですね。
斎藤:下にCAYっていうレストランがあって、そこでライブやらせてもらったりだとか、というのがあって、すごい良くしてもらいました。
さっき、岡本さんの話出ましたけど、ぼくは学生時代にマガジンハウスでバイトしてたんですね。プールで監視員のバイトやってた時に、知り合いから「私relaxでバイトしてるんだけど、隣の『マルチメディア研究室』っていうインターネットの部署があって、そこでマック使えるバイトさがしてる」という話を聞いて。
で、興味あったので行く行くーと行った先が、インターネット部署みたいなところで。当時、インターネットが浸透して「会社はホームページを持つものだ」みたいな感じになっててきて、マガジンハウスでもそういうことをやっている部署があったんですね。
バイトとしてその参加して、インターネットがすごい面白くて、仕事と音楽を並行して進めていくようになるのが、1996年とか1997年とかぐらい。そのとき、デザイナーとプログラマーとチームで仕事をするようになって、2000年ぐらいに、代々木公園に「Bluemark」っていう会社をつくって始めました(現在は解散)。
僕の場合、坂口さんもそうだと思うんですけど、仕事と音楽並行してどっちも自然に始まった、みたいな感じかなと思います。
で、バンドのほうは、これは2002年にもアルバムリリースして。もともとあまり演奏が得意じゃなかったんですけど、ライブをやってほしいみたいな話もこの頃から少しずつ出てきて、ちょっとずつ無理やりやるようになってて。
当時はまだ演奏がまだ下手だったんで、いろいろ迷走してて。ライブ毎に色々な楽器を試したりラップをしたり、試行錯誤してましたね。
で、2006年にもアルバム出したんですけど、この頃からCDが売れなくなってきてるんですけど、だんだん、ディスコとかハウスとかのダンスミュージックが地下ですごい盛んになって、クラブに呼ばれてライブするようになってた時期ですね。
あと、あんまりぼくら、音楽的にクライマックスが無いんですけど、2006年には、EGO-WRAPPINにくっついていって北欧でライブしに行ったこともあります。
斎藤:仕事みたいな話で、「音楽活動で稼いで・・・・・・」みたいなことはあんまりなかったんですけど、「世界のKitchenから」シリーズの飲み物が2007年ぐらいから始まっていて、このときのCM曲をやってほしいと音楽プロデューサーから連絡もらって。
ぼくらの『MELI-FALI』っていう曲の口笛みたいなやつをやりたいみたいで、「こういう曲をCMに合わせてやってほしいんです」って頼まれるんですね。
で、ぼくらはあんまりCMの仕組みとかよくわからなかったんで、「あっ、いいですよ、あの曲使っていいですよ」みたいな感じで言ったら、「あの曲、そのままだと色々あるんですよね」みたいに言われて。
そんなすったもんだを5回ぐらい繰り返して、結局『MELI-FALI』をそのまま使ってもらいました。
(会場で『MELI-FALI』が流される)
斎藤:あっ、いまかかってますね。ありがとうございます。
坂口:これ、聞き覚えのある方もいますよね。
斎藤:で、この曲が使われてから、CMの制作の仕事をやってほしい、という声がかかるようになって、それ以降、地味に年間5~6本ぐらいのペースでCMの音楽をやってるんですね。最近はYouTubeのCMで流す曲の仕事もあるんですけど。
2000年ぐらいからまる17年、毎週集まって活動する、っていうのを続けています。毎週土曜日は三人で集まって、なんかする、っていう活動をしつこく続けています。集まっても寝ちゃったりすることも多くて、音楽作るに至らないことも多いんですけど。
でも、続けているのも良いことかな、と思って。
あんまり関係ないんですけど、僕の会社「Saito & Co.」(Webサイトの制作・コンサルティング・プロデュースなどを行っている)が入ってるビルの一階に「Music Cafe and Bar NEWPORT」っていうカフェがあって、共同経営でやってるんですけど、そこでも音楽イベントをやっていることもあります。
ライブもちょこちょこ呼ばれて、年間ライブは数本ぐらい、呼ばれてどこかしらでやっています。
これが去年なんですけど、2016年、デンマークのレーベル「MUSIC FOR DREAMS」っていうところに、コンピレーションに楽曲提供しました。
あと、バンドでも個人でもDJで呼ばれることがあって。今年2017年は、FUJI ROCK FESTIVAL '17にちょこっと呼ばれてやらせてもらったりしました。
ま、そんな感じで。
明日は土曜日なんで、また二人と集まって・・・・・・
坂口:明日も練習?
斎藤:練習・・・・・・まあ、そうですね、集まる。以上です(笑)
山㟢氏
toeとしての音楽活動について
鈴木:海外でもライブされていますが、いつごろから行き始めましたか?
山㟢:海外は、2007年ぐらいに香港のレーベル「ホワイト・ノイズ・レコード」っていうところから呼んでもらって、初めて香港で行いました。ここ何年かは、youtubeが普及してきていろんなところでMVを見られるようになったので、いろんなところから呼んでもらっています。
坂口:この10年ぐらい、毎年海外に行ってる感じですか?
山㟢:そうすね、年1回、2回は行ってますね。アジアも欧米もいろいろ織り交ぜて。
※山㟢氏のスライドより抜粋
坂口:1回海外に行くと、何本ぐらいライブやってくるんですか?
山㟢:みんなバンド以外に仕事をしているので、だいたい1、2週間が最大ですね。飛行機での行き帰りの日数があって、あとは現地で毎日ライブですね。だいたい10本ぐらいとか・・・・・・
坂口:ひたすら「乗り打ち」ってことですよね。「乗り打ち」ってわ分かります?行って、演って、すぐ次行って、演って、っていうのを繰り返して。だから、自分たちがどの街にいるのか全然わからない。会場がどこだったか全然覚えてないぐらいの感じになりますよね。
鈴木:ほかのメンバーとのスケジュール調整はどのように行っていますか?
山㟢:みんな一応、自分で何とかなる仕事をやっているので。うちの、もう一人のギターの人(美濃隆章氏)はレコーディングのエンジニアの仕事をしていて、ドラムの人(柏倉隆史氏)はtoe意外でもサポートのドラマー。ベースの人(山根敏史氏)は洋服のブランドやお店をやっています。
スケジュールの調整といっても、「ライブやるからこの日休もうよ」ってだけですね。
Metronome Inc.としての仕事について
※ANTEROOM Webサイトより
山㟢:内装を設計する仕事をしておりまして。これは何年か前に「アンテルーム」っていう京都のホテルをやりました。部屋ではなくて、共用部と外観の部分ですね。
あと、これは中目黒にあるvendor、洋服屋さんですね。
※vendor Webサイトより
そして、vendorの隣に「サイドウォークスタンド」っていうコーヒー屋さんを作りまして、これはホテルニュートーキョーのいまちゃん(今谷忠弘氏)が店長でやってます。
※SIDEWALK STAND Webサイトより
坂口:ホテルニュートーキョーっていう音楽ユニットがあって、彼も音楽活動をしながらこのコーヒースタンドのマネージャーをしてるんですね。
※山㟢氏のスライドより抜粋
山㟢:これが、千歳船橋にできた、うちのベースの敏史(山根敏史氏)のお店(ROOT)ですね。仲いいんですよ。
坂口:でしょうね。17年も一緒にバンドやっていれば。
山㟢:これは外観ですね。斧が刺さってるんですね。
坂口:こういうのを考えるわけですよね。やっぱりデザイナーとしても。
山㟢:そうです。「斧が刺さったらいいんじゃないかなー」みたいな。
※ROOT Webサイトより
鈴木:こういうのは、依頼された中で作るんですか?
山㟢:「斧を刺してくれ」とは言われないんですけどね。そのお店をやる人は、内装のプロじゃないけど、自分のお店に対するざっくりとしたイメージはあるんですよね。それをインタビューみたいに話して、僕なりに「この人が言っているのはこういうことだろうな」と解釈して作っています。
坂口:お店の内装をするのが多いんですか?
山㟢:基本そうですね。企業系のお店だったら、原宿にあるコンバースのお店とか、ナイキのエアフォース1のポップアップストアの仕事なんかもやりました。
鈴木:ちょっと戻りますが、もともと内装の仕事をはじめるきっかけは、どういうものでしたか?
山㟢:もともと、デザイン系の専門学校行ってた時ぐらいからバンドをやってたんのですが、専門学校すぐ辞めちゃって。その後、友達の知り合いづてで、洋服屋さんのバイトしてたんですよね。そのころに、どんどんインディーズバンド人気時代が来まして。
坂口:それはいつごろですか?
山㟢:90年代後半ですかね。そういった流れもありまして、先輩が洋服屋さん立ち上げたときに、その店舗の内装を作っているところを見に行ったときに、作業が楽しそうだったから手伝わせてもらって。それから、バイトの後に内装作業を手伝っていたりしたら、「このまま内装仕事やらない?」って誘われて、そのままやり始めました。
独立して会社を始めたころは、設計・内装・工事など全部やっていました。当時は、それが全部別の仕事だと知らなかったので。今では主に、設計を請け負っていますけどね。
坂口:今は会社にしているんですよね。会社にしたのはいつ頃ですか?
山㟢:バイトで内装を手伝い始めて、親方のところに2年ぐらい働いていたのですが、その中で自分経由で請ける仕事がけっこう増えてきました。仕事さえとれれば独立かなっと思って、仕事のやり方を教えてもらった後は「自分でやろうかな」という感じで独立しました。
鈴木:仕事はどういうところからお願いされるんですか?
山㟢:皆さんから助けられていて、やっぱり知り合いからの紹介が多いんですけども。それを見てくれた人が、人づてにしてくれたりもします。最近は、広告代理店などがディベロッパーと組んで全体的なプロデュースをして、内装の部分は山㟢さんお願いします、みたいな仕事のもらい方もあります。
鈴木:独立したときは、すでにtoeでの活動はやられてたんですか?
山㟢:そうですね
鈴木:すごく忙しいという仕事のイメージがあるので、どうやってバンド活動をを続けているのかな?と思います。
山㟢:どこかの会社に入っちゃうと、好き勝手には休めないのですが、職人さんとか一人親方になれば、自分が工期に間に合わせて仕事すれば、休みやスケジュールはコントロールできると思います。
鈴木:それは、考えてやってきたのか、気づいたらそういう仕事のしかたになっていたのか、どちらですか?
山㟢:気づいたらという感じですね。毎日、毎朝決まった時間に電車乗る、みたいなのが苦手なので。職人さんとか、自分でやるほうが気が楽なんですよね。(了)
後半のクロストークに続く
このレポートは、後半のクロストークに続きます!
山㟢氏、坂口氏、斎藤氏それぞれが持っている「バンド」と「ライスワーク(いわゆる普通の仕事)」に対する考え方について、お話しいただきました。
ただいま、公開準備中です。
次回イベント情報
2018年3月17日、福岡県福岡市「SPACE on the Station」にて開催。ゲストとして、奈部川光義氏( ATATA)&五味岳久氏(LOSTAGE)が登壇します!